「序」をめぐる批判と賛辞

Evangelion the movie
I (don't) need you 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』感想
TV版エヴァを見返して絶望する
 脊椎反射アンチではない、真っ当でしっかりした批評を目にした。何処を見てもべた褒めエントリばかりで、さすがに「この翼賛的な状況は如何なものか」と思い始めていたので正直安堵した。健全な批評の余地がない作品は健全とは云いがたい。賛否両論なのはいいことだ。
 とはいえ、俺と随分違う見方が気になったのも事実。そして差異を分析してしまうのは俺の病気。「言及されて迷惑だ」「全然見当違いだ」と感じたら御寛恕ください。

承前

 ありがちな「ゆとり死ね」ライクなdisに陥ることを避けるため相応の配慮を払ったつもりでいる。それが奏効しているかどうかはわからないが。

彼等は如何にしてヱヴァを批判的に読み解いたか

 彼等の立場として共通しているのは、「旧作をリアルタイムで経験していない」ことだ。その善悪や是非は論じても無意味なのでさておく。重要なのは、過去のビッグムーブメントを彼らが経験していないということだ。だからエヴァを、そしてヱヴァを他のあらゆるアニメと同列の、極く普通の娯楽作品として捉える事ができる。良くも悪くもあの荒波にひとしきり揉まれた俺達には今更取り戻し難い視点だ。これが前提。
 では「視聴したうえでエヴァが普通のアニメであると考えている者」は、「序」にどういった観方で臨んだのだろうか。当然、旧作との比較を真っ先に行っただろう(「序」は総集編的な内容だったわけだし)。そして25分(パート単位で考えれば12分)刻みで作られているTV版と、98分の尺がある「序」を分け隔てなくフラットに比較した。恐らく、TV版に愛着があればあるほど見えてくるのは粗ばかりだったのではないか。テンポの悪さや緩急のなさといった一本調子な演出、大幅な省略による情報と情緒の欠落、新グラフィックデザインへの違和感、等々。彼らにしてみれば当然のことだ。本来、総集編的なフィルムはそういった欠点を内包しているものだからだ。そして、ここで批判的になってしまった彼等は内容に没入する事ができない。旧作からの変化を意図的なものと捉えてあれこれ考えたり、新しく出てきた謎を弄り回したりといった「より興味とエネルギーを必要とする活動」へと進むことはない。その手前で彼等は歩を止めてしまったのだから。
 何度か繰り返して鑑賞しても、この印象を覆すことは容易ではないだろう。根本的な視座が変わらない限り、恐らく印象は殆ど変化しないはずだ。

俺等は如何にしてヱヴァを肯定的に読み解いたか

 では、「旧作をリアルタイムで経験している」者達はどんな観方をしていたのか。ムーブメントの只中でTV版は飽きるほど観ている。エヴァ論もうんざりするほどやった。勿論映画も観に行ってバッチリしてやられた。EoEをどのような気持ちで観終えたにせよ、一度熱狂を経験した者にとってエヴァスペシャルなアニメであり、ただの娯楽パッケージとは一線を画した特異な作品として記憶されているはずだ。これが前提。
 それから幾星霜。愛憎も恩讐も薄れた頃に「序」が上映される。既に旧作の内容は自分の中で充分に消化されており、いってみれば所与のものであるから、旧作とのディティールの比較検討はしても新旧の本質的な作品価値比較は行う必要がない。尺の限界に縛られることは予め解っているので、自然と「何処をピックアップするのか」「何処を変えてくるのか」という観方になる。ついでに、頼まれてもいないのに深読みや謎解きを始める。これはもう染み付いた業というべきだろう。エヴァを観るときにはそうするもんだ、という刷り込みだ。そして俺達は否応なく耽溺という名の快楽の直中へと没入していく。
 かくして絶賛エントリが出来上がる。熱狂と興奮。解釈と議論。批判的に読み解いた彼らとは随分な温度差だが、その差は必然と云える。

残酷な寸止めのテーゼ

 では、俺達と彼等の軌跡は全く交わらないのか。そうではない。旧作をリアルタイムで経験した者は思い出すといい。1997年春、劇場で、最初の72分間、俺達はどんな映像を目にしたのか。それは24話分を1/8以下に圧縮したラッシュフィルムだ。新作映像は僅か28分。あの時の生殺し感。そして、もしREVIRTH編が無かったら自分がどんな評価を下していたかを考えるといい。恐らくそれが彼等の真実に限りなく近いものだ。彼等が感じている失望感、絶望感はその感覚に酷似しているはずだ。DEATH編のみを見せられて放り出された状態。TV版より低評価を下すのも蓋し当然と云えよう。
 「序」がどうしても素晴らしいものだと思えない貴方達へ。何も心配する必要はない。貴方達は運悪く、一番悪いタイミングで寸止めを強いられただけなのだ。心おきなく「破」以降を観る為に劇場へ足を運ぶことをお勧めする。それは俺達も通った道だ。そうやって俺達は、あの『Air/まごころを、君に』の直撃を喰らう羽目になったのだから。
 貴方達にとっても、無論俺達にとっても、お楽しみはまだまだこれからなのだ。