南無阿弥陀仏の暇もなく

 戦闘美少女がどうの属性消費がどうのといったようなネタをだらだら眺めていたんだが、なんだかしっくりこない。なので、自分で考えてみることにした。なにゆえ戦闘美少女が昨今世の中に氾濫しておるのか。
 先ず最初に思い至ったのが「商業的要請から萌え要素を抽出して純化させたらああなった」という論。記号的な萌えは売り上げに直結するし、男を目立たせてもカネにならん。市場の傾向にシンプルに沿っていった結果、物語からどんどん男キャラが排除され、しかしマッチョ的な役割を誰かに担わせないと話が転がらないから適切な女キャラに割り振った。そうしたら結果的にキャットファイト的な代物が出来上がった。視点がいちいちエロいのは、もとがサブカルとかヲタ的な文脈だから…って考え方。こりゃ非常におさまりがいい。男キャラが脇役と物語の背景部分に後退し、女キャラばっかりがスポットライトの下で乱舞してる昨今の状況にズバリ合う。
 しかし自分で思った。つまらん、お前の話はつまらん! 一面の真実だろうが却下だ却下。俺の求める北斗神拳はまだ遠い。ワンモアセッ
 第二案。「ぼくたちは、心の何処かで圧倒的で凛々しくて美しい戦闘美少女に殺されたいと思っているのではないか」。おお、なんだかすごそうだ。
 ダメな自分は好きじゃない。醜い自分の肉体も好きじゃない。男性性そのものも云うまでもなく好きじゃない。少女は好きだけど無論構ってもらえない。こんなポイズンな世界は5100度の炎で灰にされちまってなんら問題ない。しかしむくつけき男に殺されるなど冗談じゃない。告死天使は絶対可憐絶対無敵であらねばならない。そんなん二次元の美少女以外いるわけない。ゆえにこそ物語の上で乱舞するのはプリティでキュートなヴィーナス以外にありえない。そしてヴィーナスは全てを赦し全てを背負って彼自身の代わりに死地へと赴く以外の運命を与えられない。それは即ち、母親の似姿以外のなにものでもありえない。
 偉大なる母親の手で神の許へ召される、これこそ世界破壊願望と自殺願望と母体回帰願望の絶妙なるキマイラ。なんてこった、うまいことまとまっちまった! そうだ、ぼくたちは優しくて強くて美しいうら若きママに殺戮されたいんだ!
 しかも、ママを死刑執行人として召還しておきながら、屈託を仮託したり痛い目に遭わせたり陵辱したりやりたい放題ですよ。なんという近親レイプ。なんというヲタ臭いポルノグラフィ的視点。マザコン願望がここまで歪めば見事なもんだ。ぶっちゃけ死んだほうがいい。おまいら全員グレートマザー碇ユイの掌の上で踊っているだけであります! 人も虫も夢も月も靴も町も薔薇もエメラルドも悪い人もやさしいあの人もすべて燃えてしまうんですよ! 誰もが漂うみじめな灰になっちまうんですよ! いったい何を云ってるんだ俺は! 絶望した! 口から出任せだったのに亜空間方向に突撃しちまう自分に絶望した!
 というわけで本日の一枚はこちら。

レティクル座妄想

レティクル座妄想

 俺はよう、罪を背負ったくだらない人間だからよう、レティクル座行きの列車に乗れねえんだよう! 連れてって! ねえ、連れてって! …キャアアアアーーーーーーーー!