それは中二病の又従兄弟だ

id:sikii_j:20070729

 実際、アニメを全く見ていない人やエロゲを全くやったことがない人、または1〜2個程度かじっただけの人が「あんなものをやる人の気持ちがさっぱりわからない」と言うのなら、「そんなものやってもいないのに分かるわけないだろう」と反応するのがどう考えても正しい。でもオタク側の反応はしばしばそういうふうにはならないんだよね。「当然だ、萌えはオタクにしか分からない」とか言ったりする。
 確かに、『らき☆すた』とかジャンルのお約束が分かっててはじめて楽しめるようなものも多いのでそう言ってしまう心理はわからないでもないんだけど、そうじゃないんですよね。単に知らないだけなんですよ。
 ある程度アニメやゲームをやってお約束が理解できるようになってたら『らき☆すた』の内容だって誰にでも理解できるし、けして「オタク」という特別な人種や「萌え」という説明不能な感情が実際に存在するわけではない。
 ここらへん海燕さんも書いているとおり、「自分はオタクなのだ」ということがアイデンティティになっている人の存在が無関係ではないでしょう。特別な「オタク」という人種にしか理解できないものがある、と信じたい人がけっこういるんですね。

 引用元エントリの意図からはかなり外れた内容になっちゃうんだけど*1、まあ雑感ということでご寛恕いただきたく。特に批判するつもりなどはなく、単にネタをお借りしただけです。為念。
 「オタクにしか理解できないオタク文化など、実は存在しない」かどうかはともかく、「オタク自身が、オタクにしか理解できないと思っている文化は、実は存在する」とは云えるだろう。もっと云えば「オタク自身が、オタクにしか理解できないものであってほしいという潜在的願望を抱いている文化は、実は存在する」。
 これはサブカル一般に云えることで、わざわざメインカルチャーから離れてサブカルに耽溺するような人間には得てして個々それなりの内的理由があり、それが故に対象に執着し、特別視し、場合によっては神聖化する。「素人に解ってたまるか」「俺だけが理解できるんだ」というわけだ。ヲタのように群れたりしない分、他のマイナーサブカルカテゴリに於いてこの傾向はより顕著に見られるかもしれない。
 身も蓋もなく断じてしまえば劣等感に根ざした自己愛と自涜のスパイラルプロセスであり、いい歳こいた大人が抱えていてみっともいいものではない。そもそも、自己愛の重力に囚われて自分でも黄金と信じられていないものを黄金として崇め奉ったところで行き着く先が明るかろう筈もない。本来趣味などというものはすぐれて個人的且つ内的なものであり、他人に理解されるかどうかなど二の次三の次のことだ*2。そう思えなければ、これはもう当人の内面に帰結すべき原因があると考えて差し支えなかろう。まあ、ヲタ趣味(サブカル趣味一般と換言すべきか)に密教的魅力が伴うのもまた事実であり、その魅力を愉しめている限りに於いては周囲の眉を顰めさせかねない言動をものすることもアリといえばアリだが*3
 つまり俺が云いたいのは、趣味は趣味として純粋に愉しむべきものであって、他人がどうこう世間がどうこうという類のことは瑣事に過ぎないということだ。愉しさに疑問を覚えるようになったらやめちまえばいいだけのことであり、対象にはそれに縋り付く値打ちも、ましてや殉じる値打ちもない。それだけの値打ちを抜き難く感じてしまうようになったら、もはやそれは趣味ではない。業と云うべきだ*4
 いやしくもヲタの端くれ*5として俺はそう思うのであった*6

*1: id:sikii_j 氏の主題は、丁度引用文の後から展開されるので。

*2:他人にその趣味をカムアウトするかどうかはまた別問題だが。社会的動物たる人間様には読むべき空気というものがある。

*3:無論、個人の判断と責任の範疇に於いて。何かあったら恥をかくのは自分だからね。

*4:このエントリを書き上げてから id:kaien 氏の原文を一読して痛感したのは、おのれがまさに古い時代のヲタの典型というほかないルサンチマンまみれの論を展開しているということ。近頃の若い子はいいねぇ。雲のように風のように軽やかにヲタ趣味を満喫していただきたい。

*5:最近は本当に端くれになったと実感する。アニメ殆ど見なくなったし、ゲームも殆どやらんしね。…と云いつつ、今晩俺は早寝をせねばならんのだ。無論、酷い時間からオンエアされるコードギアスの最終回を見るために。ルル山最高!

*6:さて、ではこんな大言壮語をぶっこいている俺は自己愛スパイラルから脱却できているのかというと、これはもう一言で表現するしかない。「お前、俺が解脱してるようにでも見えるのか」。我未だ木鶏たり得ず。大鵬幸喜はいい事云った。