数年ぶりにエヴァTV版を見返してみたお
とりあえずヤシマ作戦終了(つまり6話)まで。本来劇場に足を運ぶ前に予習しておくべきだったんだろうが、そうしなかったのは有体に云ってそれほどの期待を俺が事前にしてなかったからだろう。海より深く反省。
以下、雑多な感想を記す。資料的価値はないのでそういうのをお求めの方は他の検証ページを参照されたし。
- 最新のアニメと比べると、デジタルセル移行の影響か色乗りが随分と異なる印象。どっちがいいかは好みの問題だが。しかし、今更昔には帰れない。手書き用のセルがもうないからね。第三新東京市リフトアップのシーンはデジタルならではの描写であったことがよくわかる。
- 細かい小道具はさすがに古い。緑電話とか携帯とかノートPCとか。街並みをはじめとした美術全体にもそういった感がある。近未来を描いたはずなのに、12年経つとこうも印象が変わるものか。明らかにイメージの原風景が10年前。今でも背景や小道具をここまで書きこんでるTVアニメってそうそうないはずだが、逆にそれだけ目立ってしまう。若い子が古臭いっていうのはこういう部分の影響もあるんだろうな。印象随分変わるからね。
- まだ物語の序盤なんで、声優がキャラの把握を試行錯誤してる印象が強い。特に立木文彦と三石琴乃。「序」を観た直後なんで、思わず「下手だなァ」と思ってしまった。逆に云えば、最終的にそれだけ役を自分のものにしたわけだ。さすがプロ。三石なんかまるっきり別物です。
- シンジが聴いているS-DATのトラックナンバー、最初から25と26を往復してる。劇場で見た時はループの暗示かと思ったんだが、この点については再検討を要するか。mp3プレイヤーにしなかったのは庵野の拘りか。
- シャムシエルの印象がえらく違ったんだが、恐らく俺が劇場でわきわき動く足ばっか見てたからだ。全く何の役にも立ってないのに! 絶望した! トマソンに瞞着されて視線を吸い寄せられた自分に絶望した!
- 「序」では大人たちの描写が全体にそれらしくなっている印象。皆さんしっかり自分の給料分の仕事をしているというか。年齢なりの言動を為してるというか。コメディパートがざっくり削られたせいもあるが、TV版でよくあった「コイツ等大丈夫か?」という印象が無くなってリアリティが増した。いいことです。もう「ヤマアラシのジレンマ」の時代ではない、或いは「内的葛藤」の時代ではない、という庵野のメッセージと捉えるべきか?
- レイのIDカードのイベント、TV版ではリツコがミサト邸のカレーにお呼ばれした時に「忘れてた」と直接シンジに託していた。「序」ではバーのシーンでリツコ→ミサト。しかも、ゲンドウが「シンジとレイを接近させる」と云った後で。これは「序」での新しい流れと考えるべきなのか、或いは最初からそうで単にTV版では描写が省かれただけなのか。
- レイとシンジの関係の変遷をどう捉えるかは非常に難しい。「序」序盤、両者の関係は極めて希薄であったようだ。「二人を接近させる」旨のゲンドウの発言からそれがわかる。「レイ、心のむこうに」のシーンが幾つかカットされたこともあって、関係が見えにくくなっている。ヤシマ作戦前、入院加療を受けたシンジのベッドサイドに綾波が付き添っていたことをどう解釈すべきか? にもかかわらずヤシマ作戦時にゲンドウの眼鏡をエントリープラグ内に持ち込んでいたことはどう解釈すべきか?*1 そのあたりの連動性が不鮮明なので、ラストシーンのシンジの涙のリアリティの深度に少々疑問が湧くのだ。そして、それに対するレイの笑顔の必然性にも疑問が湧くのだ。単にシンジ側の人間性が成長したことでフラグなしでも距離を縮めることができたのだと考えるべきなのか。作戦前、TV版ほど綾波の事を深く気に掛けていたとは思えないのだが。
以下、ミサト絡みの雑感。ほんとに俺、今回ミサトばっかり見てるなwww
- ミサトのシンジに対する態度が本当にいい加減。12年間で自分がシンジよりミサトの年齢に近くなったから実感するんだが、ありゃないよ。同情心と保護欲で同居を提案したまではいいとして、だったらきっちり責任持たないと。作戦担当者兼保護者なんだからさ。大人失格、社会人失格。「シンジのバカァ!」とか「彼、もう戻ってこないかも」とか「ヤマアラシのジレンマ、か」とか云ってる場合じゃない。自分の責任だって思えなきゃ保護者なんか引き受けるべきじゃないし、問題が起きたら起きたでちゃんとそれなりの振る舞いをしないと廻りにも相手にも失礼だろうよ。そのあたり、「序」のミサトは責任感と葛藤が充分に感じられてよろしかったです。直接関わったのならば、大人は子供に対してその程度の responsibility は持たないといけませんヨ。前回はEoEで瀕死の傷を負うまでミサトはシンジときっちり向き合うということをしなかった。ヤマアラシのジレンマが邪魔をした。それを最初からきっちりやれるミサトはグッと魅力的になりましたヨ。
- まったくの余談だが、ミサトの寝床の周りに転がってる雑誌が酷すぎる。CGとNAVIとmonoマガジンとananって。三十路絡みの女が読む雑誌じゃないだろ。男のアニメーターが適当に書いたのが見え見え。いい歳してanan読む女ってどうよ。第壱話の服が一張羅とか云ってたしなあ。
- これもまったくどうでもいいことだが、ミサトみたいなガサツな女が、コアントローとかカンパリとかアイリッシュミストとかグランマニエとかペルノとかデカイパーのホワイトキュラソーとかキュンメルとか、カクテルにしか使いようがない酒をズラリと棚に並べてるってのはどうよ。しかもフルボトル。幾つも口が開けっ放しだし。管理状態最悪。ああいう混ぜ物たっぷりの度数が低いリキュールはすぐ駄目になるってのに。あの部屋の惨状でカクテルとか作れるわけがない。そもそもミサトが自分で作るわけがない。*2その点、「序」では山口の地酒『獺祭』(だっさい)の空き瓶がゴロゴロ転がってるという描写に変更されていて納得。庵野の地元の酒だそうで。今度取り寄せて呑んでみようかな。
もう一度観たらまた印象も変化していくのだろう。実に咀嚼し甲斐のあるネタというべきだ。